レガシィ開発秘話
2025-12-05 14:01:55

初代スバル レガシィの開発秘話とその想いを探る

スバル レガシィの開発とその魅力



日本の自動車産業の中で、特に熱い思いを持って開発されたモデルがスバルの「レガシィ」です。その初代モデルの開発を担当した辰己英治さんが、12月6日放送のBS日テレ「おぎやはぎの愛車遍歴」で、その秘話を語ることになっています。この番組では、レガシィの設計と生い立ち、さらにはその成り立ちの背景に迫ります。

社運を賭けたレガシィの誕生



レガシィは1989年に誕生し、当時の主力モデルであった3代目レオーネの後継車として位置づけられました。その誕生は、スバルにとって困難な時期のプロジェクトであり、経済的にも厳しい状況でした。その中でレガシィを開発することで、企業の未来を変えようという強い決意があったのです。

辰己さんは「安全、安心のためには走りを極めることが必要だ」と考え、徹底したテストドライブを実施しました。「100万キロ走るとクルマのことが理解できるようになる」と語る辰己さんの姿勢は、開発に対する真摯な取り組みを象徴しています。

開発者の挑戦と競争



当時の富士重工は、バブル経済にあやかることができず苦しい局面を迎えていました。そこで辰己さんを含む開発者たちはディーラーへも出向き、一般消費者との距離を縮め、販売の難しさを身をもって体験しました。この経験が、彼およびチームのモチベーションを高めるきっかけとなったのです。

天文学的な開発費



レガシィの開発には、驚異的な開発費が投じられました。「今振り返ると信じられない金額だ」と辰己さんは懐かしみます。会社の経営陣が全力でこのプロジェクトを支援していたことは、スバルにとって大きな意義があったことは間違いありません。番組では初代レガシィだけでなく、その基盤となったレオーネモデルと比較しながら、開発背景について掘り下げます。

欧州車との比較と勝負



辰己さんは、プライベートでのオフロードレース経験を生かし、実際の運転感覚を開発に取り入れました。また、高級欧州車と比較しながら、日本車が持つべき特徴を考え続けたと言います。「欧州車は何歩も先を行っている」との思いが、レガシィの開発においても重要なインスピレーションとなっていました。

日本国内販売終了の想い



レガシィは2023年3月をもって日本国内からの販売を終了しました。その瞬間、辰己さんをはじめとする好きな人々にとっては、大きな寂しさが漂いました。おぎやはぎの小木博明も「寂しい」と語っていますが、レガシィは日本自動車殿堂に認定され、名車としての地位を確立しました。辰己さんが育てたこのモデルに対する強い愛情が、番組を通じて観る人に感動を与えることでしょう。

この放送は、ただの自動車番組に留まらず、歴史あるクルマがどのように愛されてきたのかを再確認する機会ともなります。皆様もぜひご覧ください!


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